友情に報いると言うこと

今日は、私の「一生消えない心の傷」の話です。
「周りの人の為に」自分ができる範囲のことをやらなかった・・・その後悔話です。

中学に入学し、1ヶ月も経たないうちに私は転校することになります。
私の親父は建築現場の空調関連の仕事をやっていました。
親父がその頃手がけていたマンションのオーナーから、「完成したら住んでくれないか、家賃は少し勉強するから」と持ちかけられたようです。

空調から電気配線に詳しい親父なら、何かあった時助けてもらえる・・・
そんな打算もあったんだと思います。

ウナギの寝床のような長屋アパートから新築の豪華マンションへ

我が家はその話に飛びつきました。
手をほっぺたに当てながら「大丈夫なんかな-」とつぶやく母親も、心なしか嬉しそうです。
近所つきあいの煩わしさも、約15年間住み続けただけに、澱のようにまとわりついていました。
家族全員一致で引っ越すことになりました。

さて、お伝えしたい話というのは私が1ヶ月間だけ通った中学校で起きたお話です。

小学校からそのまま同校区内の中学へ入学したのですが、新1年生のクラスに一人在日朝鮮人の宋(ソン)君という子がいました。
顔の形は朝鮮人の方によく見受けられるカマキリのような三角形で、黒縁の眼鏡をかけています。
とても日本語が上手く、生真面目で、礼儀正しい子でした。

先生に手を挙げる時も、手首から肩に掛けて鉄の棒でも入れてるのかというくらい、真上にまっすぐ突き上げ、背筋を伸ばして「はい、はい!」を連発します。
おそらく何事も、

「真面目に、誠実に、一生懸命に」

これを頑なに実践していたように思います。

ご両親からそう厳しく言われていたのかもしれません。
日本人社会で生きて行くには絶対必要なことだぞ、と言い聞かされていたのかもしれません。
それに宋君自身の性格もあったかと思います。

通常であれば朝鮮学校へ入学するのでしょうが、なぜ日本人が普通に行く中学校に通うことになったのか・・・いまだにわかりません。
今にして思えば、本人の意志で選んだ道だったのかもしれません。

ある日、ホームルームの時間だったか、担任の先生が好きな歌の話をした時に、宋君が例のごとく右手を突き上げ、

「先生、僕はアリランが大好きです!」

と言うなりいきなり立ち上がり、大きな声で「アリラン」を歌い出したんです。
有名な朝鮮民謡で、朝鮮人の方々にすれば「心に響く名曲」であるアリラン。
その滔々としたメロディーを、まっすぐ斜め上を見上げながら、2番まできっちり歌いきった宋君。

顔を紅潮させながら、ズレ気味の眼鏡を外し、ハンカチで汗を拭う宋君の表情は、今まで鬱積した不満を吐き出した爽快感で一杯でした。

というのも・・・
やはり在日朝鮮人という、日本人でない独特の風貌と、やることが何かと大げさ故に「ええかっこしい」に映ってしまう彼の挙動に対し、いじめたりなじったりするクラスメートがたくさんいたんです。

大阪で「ええかっこしい」というのは、当時の年代では嫌われる典型の性格です。
直接手をかけるようなことはありませんでしたが、

「あっちに行け、ウザいんじゃ」

仲間に入れてもらえることはまず無かったんです。

アリランを歌い終わった宋君に、大人の世界であればもちろん拍手喝采です。
しかし、当時中学一年生のクラスメートには「究極のええかっこしい」で「ちょーうっとうしいやつ」という烙印を押されてしまいました。

新中学一年生ですから、最初は勝手の分からない新しい友達が多いクラスも、時間が経てばだんだんと仲良しグループが出来てきます。
そうなるほどに、宋君への風当たりは厳しくなっていきました。

一人机に座り、両手を合わせ、じっと耐えている後ろ姿が、とても痛々しかったのを覚えています。

その当時「ブルース・リー(Bruce Lee)」が流行していました。
ちょうど映画館で放映されていたのが、

死亡遊戯」という映画でした。

「宗君も映画見るんだろうか」

私も実はブルース・リーが大好きで、見にいきたかったんです。
同じアジアの映画だから、宋君も喜ぶかな、と単純に考えたのですが、あまり会話をしたこともなかったので、なかなか声を掛ける勇気がありませんでした。

掃除当番の時、たまたま一緒になったので映画の話をすると、眼鏡の奥の目を大きく見開いて、私の両腕を握りしめ、

「行こう、行こう!ブルース・リー大好きや!!」

実は彼も大ファンだったんです。
その週の日曜日、二人で難波の南街劇場まで電車に乗って見にいきました。

帰りには完全にお互い打ち解け、ポップコーンを食べながら映画の話を飽きることなくしゃべり続けました。
駅に向かう路上で、彼はブルース・リーの雄叫びの真似をしたり、頭上に蹴り上げるキックを真似したり、横で見ていて恥ずかしくなるくらいのはしゃぎようでした。

別れ際、彼は余程嬉しかったのか、私に握手を求めてきて、

「次は俺の家に遊びに来てな」

と力強い目線を向け、私の手を強く握り締めながら、そう言いました。
彼の今の境遇を考えると、

「君は違うよね、約束守ってね」

そう確かめながら、振り絞るように私に訴えていたんだと思います。

それから、暫くして彼の家に遊びに行ったのですが・・・
なんと大邸宅でした。
お父様が外交官をされているということだけ宋君から聞きましたが、それ以外のことは語ってくれませんでした。
良く覚えていませんが、お母様がとても親切に気を遣っていただき、美味しいお菓子をテーブル一杯に並べて、にこにこ笑っておられました・・・

こんなことがあった矢先の引っ越しだったんです。
もちろん転校しなければなりません。

クラスみんなでお別れ会を開いてくれ、宋君はそこでもまた「アリラン」を歌い、顰蹙を買っていました。
最後校門までクラス全員に送り出してもらうとき、最後の握手をした宋君の目は、とても悲しそうでした・・・

その後、新しい学校で新しい中学生活を始めた私は、新しい友達とのつきあいで頭の中は一杯でした。
自然、1ヶ月そこそこしかいなかった前の中学のことなど、記憶の彼方に消えていくこととなります。

中学3年になり、クラブ活動も最後の大会を残すだけとなったある日、塾で一緒の友人から信じられない話を聞かされました。

宋君が急死した・・・と言うんです。

その年流行った風邪をこじらせ、帰らぬ人となったと聞きました。
そして、中学1年の時のクラスメートから宋君のお葬式のお知らせを手紙で受け取りました。

その時は、宋君と別れて既に2年の月日が流れていました。
昔のクラスメートから届いた手紙を見て、私は行くか行かないか・・・考え込んでしまいました。

人見知りの激しい私は、たった1ヶ月だけのクラスメートと再会することに、何とも言えない抵抗感がありました。
居ても立ってもいられなくなる程の友人関係に至るには、1ヶ月のお付き合いというのは・・・
私にとって余りに短すぎたんです。
おまけに、前の中学は長髪ですが、私が転校した先の中学の男子は「三枚刈り」の坊主頭だったんです。
今から思えば、くだらない理由ですが・・・

宋君と接したのも、映画と家に遊びに行った時くらいで、それ以外はそんなに頻繁に会話をした事も無かったんです。
私の中での宗君は、それ程友情を感じる友達でも無かった・・・
心に多少の罪悪感を持ちながら、手紙を無視することにしました。

しかし・・・

その後高校に上がり、誰から聞いたか覚えていないのですが・・・
宋君のお葬式の際、彼のお母様とお父様は最後まで私が来るのを待っておられたそうです。

たった一回の映画鑑賞でしたが、おそらく彼は何度も何度も両親の前で、私と行ったブルース・リーの「死亡遊戯」の話を繰り返したのだと思います。
ご両親は、何度も出てくる私の名前を繰り返し耳にされたのだと思います。

本来ならふさぎ込むのが当たり前の、あの辛い日々の中で・・・
私と見たブルース・リーが、元々熱い彼の心を激しく揺さぶったこと、
そして何より彼は私以上に幸せなひとときを、私と一緒に過ごしていたことに、初めて気付きました。

私が転校した後も、彼は最後まで「ええかっこしい」を貫いたのでしょうか。

自分から日本の社会に飛び込みたいと、親を説得して入学したからか、
心配するご両親を安心させる気持ちからか、

わかりませんが、学校でも自宅でも「ええかっこしい」を演じ続けた彼は、疲れ果て、病に負けてしまったのかもしれません。

臨終の際で彼の頭をよぎったのは、優しいご両親との思い出と、ひょっとしたら私と行った「死亡遊戯」のワンシーンだったかもしれません。

友情は時間ではなく深さだと、心の襞に刻み込まれる思い出の深さだと。

彼にとって、また彼のご両親にとって私はかけがえのない友人であり、その後は「無情な日本人」となりました。

天国にいった宋君とはもう友情を育むことはできませんが、心の中で宋君を思い、問いかけることは出来ます。

「宋君、どうか安らかに・・・ごめんな」


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