男が独立をするということ

ベトナムで仕事をしていたとき、何人かの友人から

「そろそろ独立しないんですか」

と会う度に言われていました。
もう私も50歳の手前、アラフィフです。
たまにベトナムから日本に帰ってきて、近所の知り合いと廊下ですれ違うと、

「なんと老け顔になって」

と驚きますが、相手も同じように思われているんだろうと思うと、やるせない気持になってきます。

「もうここらが最後のチャンスですよ、独立の」

半分面白がって煽られます。
今やっている仕事を一人で独立してやればいいのでは、というのが友人皆の意見です。

ベトナムで取り組んでいる仕事は、昔私が日本で10年くらい地を這うような気持でやっていた「不動産仲介」の営業です。
収入の低い時期、大変な思いで厳しい歩合営業の成績と戦っていました。

大学を卒業して初めて入社した会社は超有名な大手総合不動産会社。
入社当時はバブル華やかなりし頃です。
不動産業というのがその当時注目を集めていた業種でもありました。

しかし、入社と同時にじわりじわりと東京から「売れ残る」という聞いたことも無い現象を聞くようになり、それが西の大阪、広島、福岡と「完売しない分譲物件」が出始めてきたんです。

バブルが弾けのですが、当時その先駈けだったのでピンと来るのに時間がかかりました。

丁度その直前に、一棟数億円もする豪邸を大阪の新規分譲地で販売することになりました。
大阪の芸人さんから著名人まで、毎日曜日ごとに来場されるくらい、大々的に広告を打って集客していた超高級物件です。
今から思えば当時大阪支店の命運を賭けた新規事業だったんですね。

第一期分譲時は未だバブル期だったため、買い換え需要を取り込むことが出来たので「即日完売」しました。
3億円、5億円くらいする一戸建て15棟が即日完売するんです。
信じられない時代でした。

次の第二期分譲から私はたずさわることになるのですが、時既に遅しでバブルの踊り狂いは完全に終わっていました。
しかし分譲価格はバブル期の買い換え需要を見込んで高値のまま。

売れる訳がありません。

おまけに第一期の時の仕様となんら変わらない豪邸でしたし、第一期分譲の契約顧客は既に横で生活を始めています。
いきなり不況だからといって値下げをする訳にもいきません。

数百万円かけて打った新聞の折り込みチラシの反響が、たった一組。
地を這うような営業の始まりです。

近隣会社への飛び込み営業から、高額納税者へのテレコール。
木造邸宅の建て売りですから、早く買い手を見つけないと腐っていきます。
私を含めて6人の営業スタッフで馬車馬のように働きました。
3ヶ月休み無しで勤務したこともざらにあります。

その当時、あちこちの分譲地で一期と二期の価格差があまりに違いすぎたことから、訴訟問題が頻繁におきていました。
第一期分譲で購入したお客様が「値下げ分金返せ」とやるんです。

しかしバブル時代に契約したお客様が持っていた不動産もバブル価格で売れたわけですから、少々高額でも「買い換え」できる仕組みなんです。
そんなバブルの恩賞を受け、高額物件を手に入れる事ができた第一期分譲のお客様が「値下げ分金返せ」というのは、私達から言わせれば良いとこ取りも甚だしい。
本当に狂った時代でした。

そんなどうあがいても相場から遥かにかけ離れた高額物件を売りさばかないといけない営業。
まさに地獄でした。

不況時の不動産営業ほど辛い仕事はないと思います。
休むに休めません。
生身の我々営業マンが、一人また一人と斃れていきます。
営業のチーフが深夜12時に会議室に我々を集め、一番しんどそうな担当者に

「おまえは明日休め、絶対だぞ」

なかば強制的に休みを言い渡されます。
もう皆の目は黄色く濁ってきています。
休みのない業務を続けると、腰にきます。
朝、腰痛で立てない者も出て来ました。

しかし、休めと言われた営業マンも結局翌日出勤してくるんです。
休めないんです。

木造住宅ですから、日々価値の目減りとの戦い。
長引けば長引くほど不利になってくる状態です。

見かねて東京から鳴り物入りで鬼より怖いと噂の営業本部長が乗り込んできました。
週一回の地獄の営業ミーティングが始まります。

月曜日の朝の9時から夜の8時ごろまで、一人最低二時間、こってりと一週間分の営業活動を詰められます。

その当時私は新婚でした。
朝早く出勤し、夜はタクシーで戻ってくる日々。

毎晩午前帰りが続いたある日、帰ったマンションに嫁がいなくなっていました。
連日あまりの寂しさに、実家に帰って家族でご飯を食べてきたと言うんです。
泣きそうな顔をして夜中に戻ってきた嫁を、とても怒る気にはなりませんでした。
もう、限界でした。

意を決して退職をした私は、1年間の会計事務所勤務を経て、街の不動産仲介会社へ転職します。
完全歩合給という毎月「生きるか死ぬか」の戦いの幕開けです。

「今月坊主だからお給料なしね、ごめんね」

とは絶対言えない立場でしたので、必死でした。
その時は1番目の長女も生まれていたので、毎日娘の寝顔を見ながら萎えそうになる自分自身を奮い立たせていました。

生きる為に戦う日々。
当然もうそれは、骨の髄まで契約を上げる為のノウハウが叩き込まれます。
生活を賭けて取り組んだことほど身になることはありません。

こんな激動の不動産営業を経験したので、ベトナムでの賃貸業務など、私にすれば「はなくそ」のようなものです。
特に難しいとは思いません。

何を大事にすれば良いのか

これも営業を通じて、脳味噌の襞まですり込まれていました。
当たり前ですが、まずは他の不動産会社の営業マンと比較して一番熱心だと思われること。
それとお客様の口コミです。
絶対悪口をいうお客様を作らない。そして紹介客をいただく。
ただこれだけです。

バブル前後の不動産営業、またその後の不動産仲介業を通して私はいやと言うほど

  •  常に他社の営業マンとの違いをアピールする営業努力の必要性
  • 「お客様の口から上がる評判」がそのまま店の看板になるという事実

を思い知らされました。
ですので、どこの国へ行こうが「不動産営業」をさせれば、失敗せずにそこそこの売上を上げる自信はあります。

こういう背景を友人は知っているだけに、ベトナムでの独立を勧めてくれます。
しかし・・・
確かに聞こえは良いですが、果たしてそれが最良の選択肢なのか、ということです。

静かに考えてみました。

何もかも自分一人で決める事ができる、これが独立のメリットです。
煩わしい社内営業や就業規則などとは無縁になります。

しかし、会社という組織を動かして、会社の人材、資金を利用して大きな仕事ができる、これは勤め人のメリットです。

個人で宅地造成は難しいです。
収益ビル一棟買いも、かなりのリスクです。
元手のあまりかからないIT系で独立しても、参入の敷居が低いから競合数多となり、結果ハイリスクとなります。

自分と自分の家族、社員が潤う範囲で事足りると考えると、スケールの小さいビジネスになりがちです。

私は思うのですが、独立するしないにかかわらず、「何がしたいのか」が大事だということです。

  •  家族に負担を掛けず、ある程度お金に困らない生活ができる仕事であること
  • 他人に胸を張って話ができる仕事であること

最低限これらの条件はクリアした仕事でありたいですね。

私にとって独立とは「作家」として独り立ちすることです。
それ以外のオーナー経営など、あまり興味がありません。
興味がないので、おそらくやっても失敗してしまうと思うんです。

自分の力ではどうすることもできない流行廃り、材料費、運賃、人件費、パートナーの性格・・・
こういう不確定要素を抱えながらのオーナー業は、自分の意に反して、自分の手の届かない何かの変化で支障を来す可能性があります。

それがいやなんです。

自分自身が生み出すコンテンツを価格を付けて販売する。
そして広く一般大衆に認められて買ってもらう。

自分でコンテンツを生み出せない者は、人のコンテンツを販売するアフィリエイトか、勤め人として働くしかありません。

  • 新しい価値を創造できること
  • 人の真似ではなくmade in ”自分”なものを創り出せること

これは誰にもできる仕事ではありません。
そんな簡単なものではないはずです。

しかし、作家の仕事は常に新しいオリジナルコンテンツを創造し続けることです。
途切れれば引退です。
厳しい仕事だと思います。

私はまだ作家として独り立ちはできておりません。
まだまだです。
ですので、会社の資金を使ってベトナムでビジネスを展開していく仕事を続けないといけません。

会社勤めも作家稼業も、要は実力が必要である点は同じです。
独立をすれば良いというわけではもちろんなく、何でも維持し続けることが難しい。

作家も処女作書けて、そこそこ売れたとしても、その後次々と作品を世に送り出せるのかということです。

やってみないと分かりません。
ですので、軌道に乗るまでは働きながら作家を目指すしかないということになります。

勤め人として、会社の大きな資金力を使って、たくさんの関連企業の力をコントロールして、社員全員が潤う大きな事業を成功させた場合、TOPからの信頼と同時に大きな役員報酬も入ってきます。

そういう生き方も勿論あります。

男として仕事をするのに、独立の有無ではなく、、やっていて充足感を得ることができるのかどうか、家族や赤の他人に誇れる仕事か、人に喜んでもらえる仕事なのか、

これが大切だと思います。

私の両親は今年で80歳になります。
両親が私の「作品」を手に取り、驚いた表情から笑顔で喜んでくれる日を迎えることができるのか。

アラフィフの私には余りに「遅咲き」過ぎて時間がありません。
焦らず、じっくりと・・・急ぎたいと思います。


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