母とおはぎ

これは私が小学生の時のお話です。

両親が別居をしており、私と姉は物心をついたころから母親の女手一つで育てられました。
大阪市内の狭い文化住宅が私達親子3人の住まいでした。

時々別居している父親のワンルームマンションに、下着類や母の手作り総菜などを持って行き来するのは私の役目でした。
なぜ父親が別居していたのか、改まって聞いたことはありませんが、設備屋の自営業をしていた父親の仕事が不安定だったことが、その原因になっていたように思います。

家にお金を入れられない

父親としてこれ以上不甲斐ないことはありません。
父親として、男としての矜持を保つには、別居という選択枝しか思い浮かばなかったのかもしれません。

女手一つで私達育ち盛りの2人の子供を育てる。
そのために母は日に2つの仕事をこなさなければなりませんでした。

早朝のビルの清掃婦の仕事、終わってから通常のオフィスで働く正社員の仕事。
その合間に私達のお弁当を作り、家事全般をこなしていました。

今から思えば信じられない激務です。

早朝の掃除のおばちゃん仕事を終え、一旦家に戻ってきます。
そして私達のご飯やお弁当を作り、直ぐに通勤の為出て行きます。

その当時の母親の横顔は、いつも伏し目がちで辛そうでした。
休みの日、掃除機を止めてぼーっと裏庭から見える空を眺めながら、物思いにふけっている母の姿が瞼に焼き付いています。

小学校低学年だった私ですら、その当時の母親に「ガラス細工のようなもろさ」を感じて不安でした。
何かの拍子でガラガラと崩れてしまう、その一歩手前で何とか踏みとどまってくれている、そんな危なっかしさを感じていました。

苦しそうでしたが無理矢理笑顔を作って、朝オフィスへ出勤するとき一声掛けてくれます。

「じゃあ行ってくるよ」

いつだったか・・・
その後ろ姿を見送った時、なぜそんなことを感じたのか分かりませんが、

「もう、帰ってこないかもしれない」

瞬間的にそんな不安が頭をよぎったことがありました。
長いこと母の笑顔を見ていなかっただけに、また傍目に見てても疲れ切った母の姿を毎日見続けていただけに、出がけの母の背中がひときわ小さく見えたからかもしれません。

「ごめん、もう母さん辛抱でけへんかもしれん」

そう語りかけられているように思えてならなかったんです。
そして夜、いつも通りに帰宅してきた母をみて、ほっとした記憶があります。
母の踏ん張り一つで辛うじてもっていた、そんな日々でした。

ある日母と天王寺へ買い物に行きました。
祖母の家に寄った帰りです。

天王寺ステーションデパートで母は「おはぎの詰め合わせ」を買っていました。
母の大好物はおはぎです。
京都出身の母は、粒あんには目がありません。

お金を支払う母の横で、思わず値札の額を追いかけたのを覚えています。
その金額が高いのか安いのか、小学生の私には知る由もありませんが、デパートのおはぎが買える時は「祖母からいくらかの小遣いを貰ったんだろう」と今から考えると容易に想像が付きます。

ある日小学校から帰ってきたとき、台所の棚の奥に大きなおはぎが2つ、お皿に盛られて置いてありました。
上からサランラップがかけられ、大切に保管されている感じです。

未だ頭が働かない、小学校低学年の当時の私は、何の疑いもなくその2つのおはぎを平らげてしまいました。

その夜、母が帰ってきた時です。
晩ご飯の用意をする前に、台所の棚を開けて奥にあるはずのおはぎを探している母の様子を見たときに、全てのことが分かりました。

「ここにあったおはぎ知らんか」

「・・・ああごめん、おれ食べてしもた」

いつも折れそうな母がその瞬間、冷蔵庫に額を付け大きなため息をつきながら、前屈みになり、ぎゅっと目をつぶりました。
しばらくそのまま動けないでいました。

「疲れたら甘いモンが美味しいんよ」

唯一の休みである日曜日。
母がそう言いながらこたつに入り、よく砂糖入りのインスタントコーヒーを飲んでいたのを思い出します。

そんな母にとって、仕事で疲れた後のおはぎは、何よりも贅沢な楽しみだったに違いありません。
しかも前の日におはぎを僕たちに食べさせてくれていました。
自分の分だけ、たった2切れですが、母は大切に取り置きをしていたんです。
そのおはぎを私は何も考えずに食べてしまったんです。

食べたかったに違いありません。
そんなささやかな母の楽しみを、全く気づかず食べてしまった私も、大した子供ではなかったなと、今更ながら思います。

なんの不満も漏らさず、黙って私達子供の成長だけを楽しみに、堪え忍んで育ててくれた母。
私立の大学まで行かせてもらい、最後の最後まで私は親のすねをかじらせてもらいました。

今はもう80歳になりますが、未だ元気に生きてくれています。
親父と一緒に堺の公団住宅で生活をしています。

幸運にも未だ親孝行をさせてもらえる有り難さ。

思い出しては今だに私はおはぎを買って行きます。
母には死ぬまで罪滅ぼしをさせてもらおうと思っています。

あと何個買えばセーフでしょうか。
例え母の命が尽きたとしても、仏前にずっとおはぎをお供えして償うつもりです。

「おかん、一日でも長く生きてくれ・・・たのむ」


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