ヒューマンドラマを描くにはどんな素養が必要なんだろう

いろんな本の分野があります。

純愛小説、歴史小説、冒険活劇、推理サスペンス・・・

これから作家を目指す私にとって、何が得意分野なのかなど、書いてみないと分からないのが本音です。
書けるのかどうかも、今の私には分かりません。
また、書く前から自分の作家として「立ち位置」を限定してしまうことも、あまり意味が無いことだと感じています。

間違い無くはっきりと言えることは、

「書きたいと思う物語を書く」

当たり前ですが、これが何より大切かと思うんです。
もっと自分の本音を明確に表現するならば、

「ヒューマンドラマを書きたい」

これです。
ジャンルに関係無く「人が懸命に生きようとする物語」を書きたい。

人のほんのちょっとした感情の機微を表現することで、その人の今まで生きてきた背景が浮かび上がってくる。
一つ一つの描写の積み重ねの先に作品が生まれます。
何でもない日常の風景を書くにしても、その表現によって軽薄な内容にもなるし、腹の底にまで響く重厚な小説にもなります。

ペン一つでたくさんの人々に感動を与え、評価され、そしてその対価をもらう。
完全実力主義、泣くも笑うも自分次第。
厳しいですがこれが作家という職業の醍醐味だと思います。

「ヒューマンドラマを描くには一体どんな素養が必要なんだろう」

未だ一編の物語も書ききったことがない私が、

「何を分かったようなこと言っとるか」

そう受け取られるかもしれませんが、作家という職業を目指すにあたり、元々「備え持っている素質」というものが今の私にとって計り知れない大きな「要素」のように思えてなりません。
ただしかし・・・
作家になれない理由をそんな「素質論」でごまかそうという弱音とは、とことん戦っていかねばならないという覚悟は出来ているつもりです。

三島由紀夫と同じ世界を描けるなどとは、到底思っていません。
しかし、三島由紀夫でも描けない世界を描くことは、ひょっとしたらできるかもしれない、と思います。
書いている人間が違いますから。

また、予め神様から授かった「才能」だけで大作家になった方など、おそらく無いだろうと自分を慰めながらも、後天的に刻苦勉励して身につける「素養」で人を感動させる小説を創り上げることもまた可能なはずだ。
これも作家という職業のダイナミズムではないかと自分に言い聞かせています。

100人いれば100通りの「小説家」になってしかるべきです。
では、自分なりのヒューマンドラマを描く為に、何が必要で常日頃からどう心がけて時間と向き合えば良いのか。
拙い頭をひねりながら、私なりに思うことを書いてみます。

「これをやっておけば大丈夫」

そんな万人に通用する「解」はありません。
しかし、日々感じる喜怒哀楽がそのまま物語のネタになります。
ということは、日々何気なくやり過ごすのではなく、毎日の日常の中にヒントを感じ取れるアンテナを鋭く張っていないといけない、そう思います。

  • 今まで寄りつこうともしなかった自分の親の家に、通い始めるようになってくれた我が妻の心境の変化について
  • 高校3年生になった息子の所属する野球部のレギュラー争いが熾烈を極めている矢先、学業成績が急落している息子の迷いについて
  • 全く営業成績が上がらない会社の同僚の「伸びなやんでいる理由」について
  • 会社の成績TOPの部門長が急に高圧的になる「田舎臭さ」の対処法について

私の身近に起きている事例を思いつくまま挙げてみても、深くその事柄を掘り下げて考えてみれば、それはそれで立派なストーリーが成り立つ気がします。

「どうすればいいんだろう」

生きていく中でぶつかる「世間事」に対し、真剣に都度考えることが大事で、その自分なりの回答と具体的に行動した後の結末がそのまま一つの物語になる。
「アンテナを鋭く張っている」ということは、「真剣に生きている」ということで、その先にしか「迫真の物語」は描けない気がします。

あと、いろんな問題が世の中にありますが、一つ自分が興味を持つ題材をとことん掘り下げることも大事かと思います。

  • 原発問題について
  • 待機児童対策について
  • 福島の復興について
  • 再生可能エネルギーについて
  • 日本の歴史問題について

これは自分の「ライフワーク」を持つということの稿でも述べましたが、ある特定分野に一家言持てると、そのバックボーンから枝分かれして知識に幅が出て来ます。

とどのつまり小説家というのは、全ての登場人物の口を借りて自分が今思うことを語らせる仕事人です。
その人物・背景が現代だったり江戸時代だったり、サラリーマンだったり飲み屋の女将だったりするだけです。

「この作家の言いたいことがよくわかる」

と感じるからファンにもなっていただけるんだと思うんです。
ここは表現力に頼るところでは無く、

「何が正しくて何が間違っているのか」

要は作家の哲学の持ちようがストレートに評価される仕事なんだと痛感しています。

自分の哲学に合った人物と、真逆な人物、どちらもしっかりとした考えを持つ作家にすれば描くのは簡単だと思います。
風見鶏のような日和見主義を信条とする作家などブレイクするはずがありません。

「人としてこうあるべきではないのか」

この生きていく上での「信条」をどれだけ明確に持っているか、そこを問われているのでは無いかと思うんです。

さて、今の私が持つ哲学がどこまでのもので、どれだけ説得力があるのか、全く分かりません。
しかしこれだけははっきりとしていることは、

「人として自分磨きをどこまで突きつめてやっていくのか」

この心構えが無いと、作家にはなれないと改めて思います。

そして最後に一番大切なことは、

「心の底から書きたいと思う物語があるか」

自発的に、突き動かされるように書いてしまうような心理状態。
またそういう題材を持つこと。
これは哲学云々よりも物語を生み出す原動力になることは間違いありません。

伝えたい真実を伝え切れた先に評価がある、そう思います。

日々研鑽です。
頑張ります。


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