自分の「ライフワーク」を持つということ

売れる人気作家には必ず「哲学」を感じます。
他の追随を許さない明確な思想に魅力を感じ、ついその作家の小説を手に取ることになります。

単純に哲学とか思想などというものは、一長一短で身につくものではありません。
社会人経験で試行錯誤を繰り返しながら自然と身につく「知恵」が積み重なり、そこから「行動規範」が生まれ、続けて行くうちに腑に落ちて「哲学」にまで昇華されていきます。

いろんな作家の話を読むと、それぞれ皆さん「ライフワーク」を持たれています。
原発問題に対して、子供の教育に対して、歴史の編纂に対して、環境問題に対して、高齢化に伴う看護に対して・・・
それぞれに問題を感じる分野の知識を深めるために、本業の執筆の合間を縫って勉強会を開いたり、人に会ったりされています。

そもそも小説家という職業は、まず自分が興味のあるテーマについて物語るのですから、いろんなテーマに対し沸き上がるような興味を持っていないと成り立つ仕事ではありません。
その興味の深さ、分野の幅広さが作品数に繋がっていくんだと思うんです。

なんとなく私も深く掘り下げたいテーマを内に感じてはいます。

子供の教育もそうです。

3人の父親をしておりますので、真っ当な若者にして世に送り出す責任があります。
しかし、待機児童の問題等面倒を見れない親の元にいる子供達もたくさんいます。
大人が知恵を出して対応しなければいけない大切な問題です。

環境問題もそうです。

過去に日本が直面した公害や大気汚染(光化学スモッグ)。
技術力を駆使して今では抑える事ができていますが、隣の中国やそれに続く東南アジア諸国は、昔の日本と同じ道を歩もうとしています。
公害対策をしてきた日本だからこそ、アドバイスできる余地はあるかと思います。

そんなことをぼんやり考えながらインターネットを覗いていたら、あるYouTube動画にたどり着きました。

昨年(2013年)7月にブラジルのリオデジャネイロで開かれた「リオ会議」、正式には「国連持続可能な開発会議(Rio+20)」で、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領が演説した内容を紹介したビデオです。

リオ会議というのは「経済発展と環境保護を両立させる為の枠組み」を話し合う環境会議です。
しかし今回の「リオ会議(Rio+20)」は先進国と新興国との間で、そうは簡単に妥協点を見いだしにくい会議で、例年意見がまとまりにくいことから、事前に開催前からブラジルは共同声明文を作成してしまっていました。

そんな緊張感に欠けるお祭り騒ぎ的な雰囲気の中、各国の首脳が順次スピーチをしていきます。
新興国ウルグアイの順番はほぼ最終組で、そんなに注目を集める前評判もなく、淡々とスピーチスケジュールを消化している中でなされたスピーチだったようです。

誰もが分かっていること、しかし誰もが実現させる良策を思いつけないことを、分かり易く説明してくれています。
ホセ・ムヒカ大統領の人となりは、Wikipediaに以下のように紹介されています。

▼▼▼

豪奢な大統領公邸には住まずに、首都郊外の質素な住居に暮している。
また、給与の大部分を財団に寄付し、月1000ドル強で生活しており、「世界で最も貧しい大統領」として知られている。

▲▲▲

そんなウルグアイ大統領「ホセ・ムヒカ」さんのスピーチをYouTube動画でご覧下さい。

なお、この翻訳は「hana.bi」というサイトを運営する打村明さんが手がけたそうです。
打村さん、素晴らしい翻訳有り難うございます。
動画の翻訳をご覧頂き、更に精読されたい方の為に、巻末に打村さんの翻訳文を転記させていただきました。
自由転載を許可していただいていることは確認しております。
ご参考ください。



先に環境を犠牲にしながら今の経済力を得るに至った先進国と、これから発展を遂げようとする新興国と。
この2国間の話し合い相容れない要素があり、「地球環境保護の妥協点」を見つけるのが難しい議論です。

世界温暖化防止条約で各国のCO2排出量を抑制する取り組みがなされていますが、中国やアメリカが参加していなかったりと、各国の政治的なエゴが足かせとなり、なかなか議論が前に進みません。

「我々は発展する為に生まれてきたのでは無く、幸せになる為にこの地球にやってきた」

ホセ・ムヒカ大統領はスピーチします。
ではモノに満ちあふれ、欲しい食べ物に囲まれた日常が幸せなのか。
もちろんやりたい事に時間をかける為には、日常の雑事をかたづけてくれたり、管理してくれたりするハードウエアやソフトウエアは大切だと思います。
しかし、もっと価値のあることは、

「自由である時間を長く持つこと」

だと演説しています。私も同感です。
別のインタビューでもこのホセ・ムヒカ大統領は「お金と時間の関係」について話しています。

「私達がモノを買うとき、お金を払いますがお金を稼ぐためにたくさんの時間を使っています。
だからモノをお金で買ったのではなく『自分達が働いた時間』で買っているんです。

企業が社員を雇用して、仕事をしてもらい、生産して商品を売ります。
そのお金は商品を売ったお金で得たのでは無く、『社員が働いてくれた時間』で得たといえます。

家族や親友との語らい、やりたい趣味、大切な老いた両親と過ごす時間・・・
こういう貴重な『やりたいことにかける時間』を犠牲にして、便利なモノを得るために、美味しいものを食べるために働いているのが現状です。

どこまで欲するべきなのか、個人個人によりその尺度は違ってきます。

私達一人一人が本当の幸せを得るために、自分のライフスタイルを真剣に考えなければいけない時に来ていると思います」

ハイパー消費を推し進める企業、ニーズがあるからそこに資本を投資する企業活動を否定できません。
しかし消費し続けないと維持できない世の中は、当たり前ですが必ず破綻します。
地球の資源を消費していることには違いありませので、どう考えても無理があります。

資源の有効活用、再生可能エネルギー、これらを利用したエコサービス。
これらを真剣に日本の次の屋台骨を支える基幹産業に育成していく必要性を、この動画を見て痛感しました。

ライフワークは自由に決めることができます。
私は地球環境問題をテーマに、今後調べて行きたいと思います。
また、小説を通して皆さんに分かり易く情報発信し、何かの役に立てれば本望です。

頑張ります。

ウルグアイ大統領「ホセ・ムヒカ」さん
ウルグアイ大統領「ホセ・ムヒカ」さん



※ホセ・ムヒカ大統領の演説の日本語訳

▼▼▼

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。

我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます

「これが人類の運命なのか?」

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

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