アメリカに住む姉を想う

私には3歳年の離れた姉がいます。
アメリカ人と結婚し、アメリカの西海岸に渡りました。
子供が二人います。
が、離婚をし現在シングルマザーとなり、そのまま西海岸で生活をしています。

アメリカという国はお金持ちでないと、生きるに本当に厳しい国です。
今、私は東南アジアで仕事をしていますが、東南アジアにも「にわか金持ち」がたくさん生まれています。
日本車を乗り回したり、日本食レストランを経営したり。
しかしお金持ちになった歴史が未だ浅いので、やっていることが「背伸びをしてお金持ちのふりをしている」レベルです。

アメリカの場合長い歴史を経て今の貧富の差が形成されてきました。
お金持ちも筋金入りです。
逆に貧困層の方々もまた、長らく志叶わぬ不遇を脱出できずに戦い続けているのが現状かと思います。
その貧困層の中にはもちろんアメリカ人もいますが、移民の外国人も数多くいます。

私の姉は、その貧困層であえぐ外国人の一人です。

高校を卒業すると同時に結婚した姉。
とても幸せそうでしたが、男性側の男性故の理由で離婚することに。

それから姉の波瀾万丈の人生が始まります。

日本で知りあったアメリカ人と結婚し、アメリカに渡り2人の男の子が生まれます。
しかし、やはり離婚することに。

アメリカという国は離婚した場合、子供の養育権をできる限り擁護しようとします。
姉が2人の子供を預かっていますが、定期的に父親に合わせないといけません。

ということは、姉は子供を連れて日本に帰って来れないんです。
アメリカの法律がそれを許しません。
自然、姉はアメリカという国に縛り付けられることになります。

姉が高校を卒業したと同時に結婚したとき、私は当然中学3年生でした。
大学入試も試験会場から近かった姉の家から通ったことを思い出します。
大学生になってから暫くして離婚してアメリカに行きましたので、私が23歳くらいの時から会えていません。

たまに母と国際電話で話をしているようです。
その時に姉が置かれている状態を母から聞く事が唯一掴める「姉情報」です。

母がある時期からひどい花粉症にかかり、季節になると辛い鼻づまりに見舞われると知った姉は、毎月花粉症に効くサプリメントを送ってきます。
子供たちと撮った写真も不定期ですが送ってきてくれます。

母は送ってきた姉と私の子供の写真は必ずサランラップで包んで冷蔵庫に貼り付けているのですが、姉の子供の写真だけは数年前から成長していません。

母との電話の会話は、穏やかな時もありますが、癇癪を起こしたようにきつい口調で母をなじる時もあるようです。
「子供にも手をあげている・・・」そう母がため息交じりに話していました。

母に言って姉のメールアドレスを教えてもらい、暫くメールのやり取りをしていましたが、なぜだか長く続かず・・・
姉からの返信が滞りがちになり、音信不通になる・・・
この繰り返しです。

「メールを送らなくなるのは、話して聞かせたい良いことがないからだろうな」

そう思うんです。

「学校給食を作る仕事が見つかった・・・」

そう言ってメールは途絶えてしまいました。

アメリカは移民を受け入れる寛容な国です。
当然姉のような困った外国人に救いの手が掛かることもあるかと思いますが、やはり同じくらい悪い手もかけられる可能性もあるだろう。

今はアメリカ人でも失業率が高く、ましてや言葉の壁がある姉のような外国人に待遇の良い仕事が回ってくるはずがありません。

どう考えても姉を救ってやれるのは、私しかいないと分かっています。
しかし今の私が定期的にアメリカに行き、姉と会って話をするような時間の余裕が無いことと、金銭的にかなりきつく、1回くらいならいけるかもしれませんが、通えるほどの蓄えはありません。

私の両親は共に昭和9年生まれですから、今年80歳になります。

親の末期まで共に会えないというのは何としてでも避けたい、そう思っています。

「どうしたら良いものか」

常に私の頭の片隅には、姉とその2人の子供が爪に火をともすように堪え忍んで生活している光景があります。
姉を想うとき、私の記憶にある昔の家での思い出が蘇ってきます。

姉とは昔よく喧嘩をしました。
口のたつ姉は、鈍くさい私をよくしかり飛ばしていました。
小さい時はそんな気性の荒い姉にあまり良いイメージを持てなかった私です。
しかし母に聞くと、私が未だ物心のつかない時分、姉は毎日私の手を取って近くの公園まで遊びに連れて行ってくれたそうです。
どこへ行くにもいつも一緒。
毎日私の「子守り」をしてくれる姉は、近所で評判の「良いお姉ちゃん」だったそうです。

そんな姉と離ればなれになって、もう26年が経ちます。
その間2回くらい、日本にバケーションで帰って来ましたが、離婚してからは1度も帰国が叶っていません。

実の肉親で、私の唯一血のつながった姉です。
また娘と会えない両親の気持ちを考えると、胸がふさがります。

両親には死ぬまでに実現させてやりたいと考えていることが2つあります。

一つは靖国神社の参拝、もう一つは姉に会わせること。
これを実現させずに親に先立たれると、私は一生引きずってしまうことになります。

「姉に会いたい」

この気持が月日を追うごとに深まってきます。

「家族4人で水入らずで年に1回くらい会えること」

当たり前の境遇で親に余生を過ごして貰いたい。
姉にも生まれ育った日本に定期的に足を運べるようにしてあげたい。

作家になる前に、やらなければいけないことがたくさんあります。
そして、やらなければいけないことをやった先にしか、作家という仕事は降りてこないような気がします。

姉ちゃん、元気にしてるか
姉ちゃん、元気にしてるか

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