曽野綾子著「人間にとって成熟とは何か」を読んで

曽野綾子さんという作家は、以前から気になる作家でした。
今まで「週刊ポスト」や「新潮45」、また「産経新聞」などで曽野綾子さんの文章に触れたことがあります。
具体的な細かい内容は覚えていませんが、

「ズバリと問題の本質を突くタフな論客」

そんなイメージを持っています。
1931年(昭和6年)生まれでクリスチャン作家という、外見からは想像できない「論評の力強さ」を感じた記憶があります。

私は風見鶏のような日和見的な解説や論評を、一時的に論じる評論家より、曽野綾子さんのような「一貫した変わらない姿勢」で歯に衣を着せず、抉るような意見を放つ作家の方が分かり易く親しみを感じます。

今まで失礼ながら一作も曽野綾子さんの著書を読んだことがありません。
曽野綾子さんの著作を手にするのは、今回の「人間にとって成熟とは何か」が初めてです。

こういう書評を書くにあたって、本来はずっとその作者の著作を追いかけて読破した人が評論すべきだと思います。
私は今回初めてこの本を読ませていただいた、いわば初心者ですので「大作家曽野綾子」さんを語るというのも、なんともおこがましい限りです。

ですので、あくまでも今回の新作「人間にとって成熟とは何か」だけに焦点を当てて、私が感じたことを中心に書かせていただこうと思います。

  • 【作家名】曽野綾子さん
  • 【生年月日】1931年(昭和6年)9月
  • 【ご紹介本】「人間にとって成熟とは何か
  • 【出版社】幻冬舎新書
  • 【作家の受賞履歴】※ウィキペディアより参照
    ・1979年、バチカン有功十字勲章
    ・1980年、『神の汚れた手』で第19回女流文学賞に選ばれるが辞退
    ・1988年、第3回正論大賞
    ・1993年、日本芸術院恩賜賞
    ・1995年、第46回日本放送協会放送文化賞
    ・1997年、第31回吉川英治文化賞、読売国際協力賞
    ・2003年、ご主人の三浦朱門さんに続き文化功労者
    ・2012年、これまでの業績に対して菊池寛賞を授与される

この手のハウツーものは目次をご紹介することで、作者曽野綾子さんの大体の狙いが見えてくるかと思います。

  • 第一話 正しいことだけをして生きることはできない
  • 第二話 「努力でも解決できないことがある」と知る
  • 第三話 「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする
  • 第四話 身内を大切にし続けることができるか
  • 第五話 他愛のない会話に幸せはひそんでいる
  • 第六話 「権利を使うのは当然」とは考えない
  • 第七話 品がある人に共通すること
  • 第八話 「問題だらけなのが人生」とわきまえる
  • 第九話 「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る
  • 第十話 辛くて頑張れない時は誰にでもある
  • 第十一話 沈黙と会話を使い分ける
  • 第十二話 「うまみのある大人」は敵を作らない
  • 第十三話 存在感をはっきりさせるために服を着る
  • 第十四話 自分を見失わずにいるためには
  • 第十五話 他人を理解することはできない
  • 第十六話 甘やかされて得をすることは何もない
  • 第十七話 人はどのように自分の人生を決めるのか
  • 第十八話 不純な人間の本質を理解する

各章のタイトルを見ると、どれも人生を長くやってきた人でないと語ることが出来ない重たい主題ばかりです。
タイトルが「人間にとって成熟とは何か」ですから、人生経験を積み上げてきた晩年期の作家がまず語らないと、説得力や迫力に欠けてしまいます。

そういう意味では、書き手が曽野綾子さんであるからこそ、この真っ向勝負のタイトルで出版出来たんだと思います。
買った新書の帯にも書かれていましたが、発売直後75万部を突破する勢いで売れているようです。

曽野綾子さん著「人間にとって成熟とは何か」
曽野綾子さん著「人間にとって成熟とは何か」

 

曽野綾子さんがこの本で言いたかったこと、つぎの文中の言葉が答えだと思います。

「大人になる、成熟するということは、自分をこの地球上の、どの地理的地点と、時間的地点に置いて認識しているかにかかっている。
(中略)
世界を意識した地理的、時間的空間の中に自分を置き、それ以上でもそれ以下でもない小さな自分を正当に認識できることが、実は本当の成熟した大人の反応なのだと思う」

こうなるかと思うんですね。
難しいですね。
しかしこの本を最後まで読めば理解できます。

私は今の未熟な自分と向き合いながら、時間をかけてじっくりと各章を読ませていただきました。
曽野綾子さんの目を通して見える、日常的におきている具体的な事例をあげながら分かり易く語りかけてくれているのがこの本です。

「自分自身を地球上のどの地理的地点と時間的地点に置いて認識しているか」

要は視点を自分が生活している日常の「点」に据えるのではなく、「世界を意識した地理的、時間的空間の中に」据え置くことのできる人が、本当の成熟した大人だと言うんです。

もう少し分かり易く言いますね。

「人間にとって成熟とは何か」を読み進めていくと、周りの人達から助けられて生かされているということを頓着しない日本人に対し、厳しい意見が出て来ます。
朝起きて夜寝床に入るまで、私達は様々なサービスに抱かれて生活しています。
そんな当たり前のことを、当たり前の権利として主張する人達に、容赦の無い厳しい叱責が飛び出てきます。

自分が住む街、その街を含む都道府県、47都道府県を保有する日本。
そして日本を含む全世界。
全てが持ちつ持たれつの関係で成り立っていることを認識せず、あるいは認識しているが面倒だから知らない振りをして、受けることのできる権利ばかり声高に主張する大人・・・
自分の足下しか見えない、自分さえ良ければそれでいい、そんな考えの大人に対して曽野綾子さんは非常に厳しい。

たくさん出てくる事例の一つをご紹介します。

ある国会議員がどこかのインタビューで、障害を持って生まれてきた我が子の医療費について、

「日本の高額医療制度を利用するから大丈夫です」

と説明するくだりがあります。
しかし、曽野綾子さんの常識で考えると、

「甚だしく配慮に欠け、成熟した大人の意見ではない」

となります。
その高額医療費は誰が負担しているんだということです。
もちろん我々国民が負担しています。

その国会議員は高額医療が受けられる日本の健康保険制度を讃えるつもりで言った言葉かもしれません。
しかしそれを公の場でしゃべるのであれば、負担してくれている国民の気持を考えて話さないといけないだろうというのが曽野綾子さんの意見です。

もう一度申し上げますが、その方は国会議員です。
おまけに自分の子供にかかる高額医療費のインタビューです。
そんな配慮は一般人よりも出来ていないとおかしい人種です。
それだけに厳しい意見になるんですね。

曽野綾子さんは執筆活動の他に各種団体の社外取締役もこなされています。
その多忙な日々の合間を縫うように、アフリカのマダガスカルへ足を運ばれています。
その目的は、アンツィラベという地方都市の貧しい子供たちに医療支援をするスタッフとして随伴する為です。
もう80歳の曽野さんが、老体に鞭をうちながら、放っておけば確実に死ぬマダガスカルの子供たちを救う活動を続けています。

このマダガスカルに比べれば日本の医療制度はまさに「天国」です。
その至れり尽くせりの手厚い医療制度を受ける権利は、日本国民なら誰にも与えられています。

その国会議員の子を想う気持をとやかく言っているのではなく、公人である国会議員が我が子の高額医療費を国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の「申し訳なさ」か「感謝」が全く感じられないことに「成熟度が感じられない」と意見されているんですね。

これはほんの一例です。
他にも芸が達者でなくても存在できるAKB48に不可思議さなども言及されています。
マイケルジャクソンファンの曽野さんからすれば、AKB48はお遊戯をやっている子供たちにしか見えないのでしょう。
それは私も同感です。

「人間にとって成熟とは何か」

深いタイトルですが、曽野綾子さんが終始言い続けているのは、今ご紹介したような「きめ細かい配慮」が自然にできる大人のことを指しています。
また次のようにも語られています。

「他人のお世話にならずに生きていられる人などいない。
しかしどれだけお世話になったかを見極められない人には、何の仕事もできない。
肉体は衰えて行っても、魂や眼力に少し磨きがかかる。
成熟とは、鏡を磨いてよく見えるようにすることだ」

そして、成熟した先に初めて「本当の自由」が得られると指摘されています。
その曽野綾子さんが表現する「自由」の姿は、

「川の流れの中に立つ杭」

と言われています。
「成熟した人」というのは、清濁併せ持った他人との付き合いの中で、協調できる部分にだけ目を向け、その後は決して流されない。

「川の流れの中に立つ杭」はいろんな障害物が流れてきても、受け止めながら、端然と立ち続けることのできる人をそのまま象徴しています。
長く同じ場所に立ち続けるので、その風景の一部として杭は納まってきます。
川の流れが激しいほど、その杭の価値は上がります。

曽野綾子さんが求める「成熟人」は、何でもない気配りができる人という簡単な括りの人ではありません。
かなりレベルの高い品格を求められているように思います。

世界最高水準のサービスが行き届いた便利なこの国で当たり前のように育った私達日本人は、日本で受けるサービスを当たり前の権利として受け止めている人達が多いと思います。
その手厚いサービスを支えている制度や人のありがたみを、本当に自覚し感謝の行動に出ることのできる人は、果たしてどれくらいいるでしょうか。

世界各地に進出する日系企業の赴任者達は、日本の常識が如何に特別なものであるかを目の当たりに経験する機会を頻繁に持つことになります。
「安全」と「水」と「サービス」は享受できて当たり前という感覚になっているので、無理もないのかもしれません。

そんな海外で「日本の常識」を強要する馬鹿な日本人も出てくるかと思います。
「恥」を大量輸出するハメになるかもしれません。

政治の世界ではまた違った駆け引きがあるのかもしれません。
しかし民間レベルの経済交流において、曽野綾子さんの「成熟人」としての基準を持てるように、日々心がけていかないといけない、そう痛感しました。

詳しくは「人間にとって成熟とは何か」を読んでみてください。

ぶれない明確な基準を持って、流れの速い川の中を微動だにせず立ち続けている曽野綾子さん。
私は他の作品も是非手にとって読んでみたいと思いました。

失礼な表現かもしれませんが、「曽野節」が炸裂している分かり易い人生論です。


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