百田尚樹著の「永遠の0(ゼロ)」を読んで

「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹著)を読みました。
読み終えて、また映画もみた上で感想をお話したいと思います。

ちょうど今年の夏。
私は毎年終戦を迎えた真夏に、戦争小説を読む「決めごと」を続けています。

いつものように書店に行き、物色をしておりましたが、その時百田尚樹さんの「海賊とよばれた男」が第十回本屋大賞を受賞され、大々的に宣伝をしていました。
全国の書店の店員さんが選ぶ「本屋大賞」です。その大賞に選ばれるのですから、内容の「面白さ」は約束されたようなものです。
その作家「百田尚樹」さんは、関西の超人気お化け番組「探偵!ナイトスクープ」を含め多数の番組の放送作家をこなされていると聞き、余計に興味をそそられました。

書店の「百田尚樹コーナー」に行くと、今まで出版してきた百田さんの本が並んでいましたが、その中に見つけたのが「永遠の0(ゼロ)」でした。
見ると私が探していた戦争物の物語です。
私は迷わず購入し、一気に読み切りました。

内容はもう、私の想像を超える素晴らしいものでした。

「また少し、戦争の史実を理解させてもらえた」

感謝の気持ちで一杯です。

「本はノンフィクションを読む」

昔からこんな「基準」を持って本を選んできました。
その流れでいくと、「永遠のゼロ」は太平洋戦争という史実を舞台にした話です。
登場人物の宮部久蔵が実在した人物かどうかは分かりません。
しかし、宮部久蔵のような気持で戦争を戦っていた若者は五万といたと思います。

私にとってこれだけで充分です。
充分「ノンフィクション」です。

今回の稿は、この「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹著)について書きたいと思います。

 

ちょうど今日、「永遠のゼロ」の映画を家族で見に行きました。
原作本の内容そのまま忠実とまではいきませんでしたが、

「家族を愛おしむ心、それを許さぬ戦争の冷酷さ」

はしっかりと原作通り描けていたかと思います。
迫力は満点でした。

ただ、私はやはり映画より原作本の方がもっと濃密に「むなしい戦争の中味」の説明が充実していたと思います。
尺の問題もあるので、映画で全て原作の内容を表現しきれないのは無理もありません。

本を読んでどこに感動するかは人それぞれです。
私が一番腹に響いたのは、主人公宮部久蔵の家族に向けた愛は勿論ですが、大日本帝国軍の「戦争の拙い進め方」です。
至る所で大きな「判断ミス」を繰り返している事実です。
日本はアメリカとの「物量の違い」だけで負けたのでは無く、作戦的に致命的な失敗を重ねた結果負けたということがこの本を読んでよくわかります。

今からご紹介する事実は原作に書かれていますが、映画では言及されていません。
順にご紹介します。

真珠湾攻撃の事前宣戦布告がなされないまま日本は攻撃を始めたこと。

その理由を知って、信じられない思いに駆られた方は多いかと思います。
理由は、真珠湾攻撃前日アメリカのワシントンにある日本大使館員の怠惰です。

何のことか意味がわからないと思うので詳しく説明します。

大使館員の寺崎英成氏の送別会(酒宴)が遅くまで開かれた為。
深夜遅くまで飲み明かした為初動が遅れ、暗号文の翻訳に時間がかかり、ハル国務長官へ手渡した時には、既に真珠湾攻撃は始まっていました。

連合艦隊司令長官「山本五十六大将」も事前のアメリカへの宣戦布告打電について、奇襲にならないように確かめたと言われています。
しかし、その山本五十六大将の当たり前の望みも叶わないまま、奇襲の汚名を受けつつ戦争に突入して行ったんです。
その当時の大使館員の意識の低さの為に、日本は生涯にわたり卑怯者の烙印を押されることになります。

そんな大事な布告文ですから前もって分かっていそうなものです。
こんなことがあって良いのか・・・

しかし後で調べてみましたが、この真珠湾攻撃前夜の不可解な出来事について、色んな説が飛び交っているようです。
奇襲を意図的にやったとか、アメリカのプロパガンダに上手く利用されたとか。

いまだに外務省からこの大失態に対する正式な発表はなされていません。
謎に包まれたままです。

しかし、ハル国務長官とのアポイントの約束を守らなかったのは事実です。
当然その宣戦布告の打電をアメリカ側にタイムリーに出来なかった担当者には何のお咎めも無い・・・
零戦パイロットなら、一瞬のスキで撃墜されてしまうというのに。

アメリカ国民の意識の中に、原子爆弾投下を正当化する理由付けの一つとして「日本の卑怯な奇襲」が有ります。
特攻に限らず、戦争で亡くなった方々になんと言って説明できるというのでしょうか。

外務省は依然、沈黙を守ったままです。

戦艦大和を使った突撃作戦の失敗も、ある幹部の作戦通りにしない判断ミスが原因でたくさんの命が犠牲になります。

戦艦大和を犠牲にしてまでの作戦も、一人の幹部の「臆病」によりアメリカ側の勢力を削ぐことが出来ず、その後数千人規模の死者を出すことになります。
しかし、その判断ミスをした幹部にはその後何のお咎めも無い・・・

また、特効に関して五航艦司令長官の宇垣纏氏の身勝手な行動も紹介されています。

終戦を知った宇垣長官は自分の死に場所を求めて、自分の部下17人を引き連れて特効したと紹介されています。
終戦を伝える玉音放送の後の出来事です。
死ぬのは宇垣長官一人で充分なはず。後の17人は死ぬ必要が無かった若者達です。

道連れにされたことを知った隊員の一人、中都留大尉の父親が、

「死ぬなら一人で死んで欲しかった!」

と慟哭された話が紹介されています。

勿論、特効に断固反対した軍人、美濃部正少佐の話も紹介されています。

戦争末期、沖縄戦作戦会議の席で特効命令を死を賭して毅然と反対したというんです。

上官からの命令を拒否する行為は抗命罪で、軍法会議にかけられれば死刑すらあり得る話です。
その幹部達が居並ぶ席上、美濃部少佐はこう言います。

「ここにおられる皆さんに自ら突入出来る方がいるか!」

美濃部少佐の部下から一人も特効隊員は出なかったと言います。

こういう話から思うのは、

「上官の気持ち一つで揺れ動く若者達の命が如何に儚いものか」

ということです。
何も知らずに日本を守る為、愛する人達を守る為、自らの命を捧げると決めた若者達。
自ら「死ぬのも潔し」などと達観したのではなく、上からそう教え込まれてきたからです。
本音は全員宮部久蔵と同じく、

「生きて日本に戻りたい」

に決まっています。
しかしその望みは叶えられず・・・
夥しい数の若者達が、二度と帰らぬ「英霊」となってしまいます。

しかし、その若者達を送り出す時に、

「我々も後から続く」

と言った後、責任を感じ、続いて命を投げ出した幹部が何人いたのでしょうか。
何人かは終戦後、切腹自殺した幹部もいたようです。
しかし、腹を掻き切る勇気があるくらいなら、美濃部少佐のように命がけで「特効断固反対」を唱えて欲しかったと痛感します。

祖父宮部久蔵の歩いた軌跡を追いかける調査を、孫の二人が進めていく中で、今ご紹介したような話が次々と出て来ます。
そして、

「生きて帰りたいと口にしていたおじいちゃんは、何故特効に志願したのか」

この疑問を最後まで追い続けます。
最後の「隠された秘密」が明らかになる過程がメインストーリーです。
しかし私は今ご紹介したような、

「軍部首脳の随所に見られる拙攻判断」

をかなり細かく指摘し、明るみに晒すことで、メインストーリーを際立たせる持って行き方。
微に入り細を穿つ百田尚樹さんの取材に感動させられました。

そういう書き方をすることで、相対的に特効で黙って命を落としていった若い隊員達の「健気さ、儚さ」が浮き彫りになってきます。

自分の死と向かい合いながら、哀しみを抑えて粛々と死地に飛び立って行った特攻隊の若者達と、

「貴様らの代わりは一銭五厘(召集令状の切手代)でいくらでも補充できるんだ!」

と作戦のために若い命を虫けらのように扱っていた上級幹部達と。

このあまりの意識の違いと、そこから生まれる人間の命を盾にしたような作戦に怒りを覚えない方はいないと思います。
また、そういう上級幹部の考え方を生み出したものが戦争の元凶だと、この「永遠の0(ゼロ)」を読んで思い至りました。

最後に宮部久蔵と共に戦った生き残りの兵隊が、語る話をご紹介して終わります。

場面は昭和三十年、その兵隊の子供の小学校運動会の日。
戦場とは打って変わった平和なシーンです。
運動場の周りにゴザをしき、幸せそうにしている人々をみて、その生き残り兵隊は戦争で死んでいった人達を思いだし泣き出す場面です。
その時の心境を、兵隊は次のように語ります。

「周囲の楽しそうな光景を見ていて、ふと不思議な気持に襲われたんです。
その時、突然気がついたんです。十年前、この国は戦争をしていたんだと。
周囲で笑っている父親たちは全員、かつては銃を持った兵士たちでした。中国で戦い、仏印で戦い、南太平洋の島々で戦った兵士たちだったのだと。
(中略)
ガダルカナルの白兵戦で撃たれ、インパールのジャングルで斃れ、あるいは戦艦大和と共に沈んだ将兵たち・・・
あの戦争で亡くなった大勢の男達はもし生きていれば、こんなふうに子供と一緒に運動会に参加出来たのだ。
海軍航空兵でもなく零戦の搭乗員でもなく、ただ一人の優しい父親として、子供が校庭を走る姿に声援を送っていたのだ、と・・・」

大きなケヤキのそばにしゃがみ込み、大の男が泣くシーン。

死んでいった人達は二度と戻ってきません。
運良く生き残って平和な日本にいる人達。
あの戦争という「地獄」を経験し生き抜いてきた人達の心には、戦争の残虐さと虚しさが死ぬまで刻印されることになります。

私はこの「永遠のゼロ」を読んで、改めて戦争を引き起こしたあの時代の「熱狂」について考えさせられました。
今後同じような状態に陥らないように、私達は食い止めないといけない、そう実感させられました。

私たちの年代が食い止めても、私達の子供達が暴走してしまえば何の意味もありません。
戦争体験者と全く戦争から遠ざかっている私達の子供たちと。
この2つの世代に橋を架けるように「戦争体験」を引き継いでいく必要を感じたという、作家の百田尚樹さん。

この本は、我が子に「戦争を語る」為に必要なバイブルの一つだと私は思います。
戦後世代の私達は、戦争というものを正しく理解して、正しく伝えていかないといけない責任があると心から感じさせてくれる物語でした。

読んで良かったと思います。


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